気まぐれなメモ帳。

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2009年卒の悲劇『リーマンショック』~退職編2~

僕のリーマンショック時代のお話の続きございます。

 
N社にて内定し研修終了後に自宅待機を命じられる。
国家資格取得のため、一度配属先を紹介してもらったが3ヵ月で契約終了。
そしてN社上司から「翌月から給料を6割にする」という実質クビ宣告される。

 

本社に呼ばれた直後に退職を願い出る人はいなかった。
上司からも「今週いっぱいよく考えるように」と言われこの日は終了した。
みんな他の新卒達の動きを様子見ていたようだった。

この日はちょうど新卒達が集まったので食事をすることにした。(金が無いのでファミレス)
〇「これからどうしようかなぁ」
△「6割じゃバイトしながらじゃないと生活できないよ」
×「ウチの会社の給料東京にしては低すぎるから」
※N社は手取り約15万。
みんなモチベーションは下がっていた。
ただし2ちゃんねる掲示板の情報通り、
この会社では無知な北海道民や、九州沖縄県民を呼び寄せてる。
だから1年足らずで帰省するのも気が引けているのが本音だろう。
だが僕は心の中でもう決心していた。

翌日自宅待機での定時前のメール時に
「見切りをつけて辞めさせて頂きます」を送る。
速攻で返信が来て「2日後に常務と話をする時間を用意するから来るように」との事。
2日後、10月いっぱいで退職が決定。

その後、新卒達に連絡を送る。
配属先を1度紹介してもらった人が見切りをつけた時点で
ずっと自宅待機をしてる人達も流れにあわせて退職連絡をしたようだ。


新卒組と会社を辞めることが決まり、少し気が楽になった。
先のことは見えないけど、「今を楽しもう」と夜通しカラオケをしていた。
この時のことは一生忘れない思い出となった。
その後僕は2018年現在、「同期入社」という仲間には巡り合えず、
自分より年齢が同じ人と一緒に仕事することが無くなった。どこか距離感がある。
当時の彼らこそ、仲間意識があって良い人たちに巡り合えたなと思った。

ちなみに応用情報技術者試験はやる気が無くなり受験会場にも行かずに不合格。
この2009年10月を最後に僕は情報処理技術者試験に申し込みをすることは二度となかった。


「早期に退職願いが出た場合、給料にイロをつける」と言っていた通り、
最後に貰った給料はイロがついていた。
たった1万だけだったけど。


こうしてN社では2009年卒の社員をわずか半年で全員自主退職させたという伝説を残したのであった。

 

~後日談編~へ続く

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